可愛いということ


私は可愛いと思われたいと思って生きてきて
そのくらいの顔面レベルではあると思っていて
人前に出るときは特になるべく多くの人に可愛いと思われたくて
何よりも自分を気にするタイプでした。

鼻毛出てないかなとかそれは礼儀の段階ですけど
いろんなことを気にしていました

でもまあ20歳も過ぎれば自分のレベルというか、いわゆる顔面偏差値とか臨機応変さとか
コミュニケーション能力とか優しさとかつまり

自分の中のあまり変えられない部分って
ある程度わかってくるじゃないですか

その際たるものが顔で。

やっと気づいたんですよね

私そんなに可愛くねえや

って。


いやもうさすがに気づかざるを得ないし。
もう少し可愛く生まれてたら人生違ったなとか思うけど無理だし。
よくも悪くも期待せず、諦められる年齢になってしまったんですよね。



でも、それで良いことがあったので
書いておこうと思います。

①人前に出てもあまり緊張しなくなった
可愛いと思われようと思わないと
自分がどうとかよりも聞いている人が楽しいか、笑ってくれるかのほうが重要になりました。
で、緊張しなくなりました。
単純、でも意外と重要。


②面白がってくれる人が増えた

そりゃ可愛いと思われたくてそういう態度でいたら、なんとなくその気持ちって見えるし
うざいなーと思います、自分でも。

けどそれを辞めたら、
いいよ、いい。おもしろい
って言ってくれる人が増えました。
楽しいです。







可愛い顔に生まれてちやほやされる人生も
羨ましくないと言ったら嘘になるけど
なんだか私は
おもしろい
と言われる今の方が幸せかもなと思っています。



とても可愛い、かっこいい人なんて本当にちょろっとしかいなくて

これを読んでくれた人がいたとして、
会ったことはないけどだいたいそんなに可愛くないしかっこよくもないです。
美しい顔に生まれたら人生イージーモードだったかもなと思うこともありますよ、ありますけど
美人も美人で大変そうだし
モテてモテても困るしね、いい男を見極める自信もないですし。


変えられない部分は諦めることも肝心。
だからって傲慢になってはいけないけど
それにこだわりすぎるより、
もっと自分のいいところを他人に認めてもらえたら
人生イージーモードだぜと思った深夜1時でした。